お久しぶりです。見守り妻のかすみです。
ほんのちょっとお休みしてました。
前記事では、たくさんのスターをいただきまして、本当にありがとうございました。
心がポキッと折れたという記事から更新していなかったので、もしかしたら心配してくださった方もおられるかもしれませんが、お陰様で私は元気に暮らしております。
「あー、もう無理」となってしまったのですが、まずは自分の折れた心の修復に努めました。
割れたガラスをくっつけても元に戻らないように、心も壊れたら完全には治らないとおっしゃられる方がいて、本当にその通りだとは思うのですが、割れたままでは欠片を紛失したり、ケガをしますので、まずはくっつけて元の形に近づける作業をしました。
まずやったのは、自分のためにお花屋さんでお花を買いました。
本当は好きなお花屋さんに行きたかったのですが、家と逆方向なので、スーパーの中のお花屋さんで買いました。
そのお店の扱いがよくないのか、帰ってすぐ花瓶に入れたらクターとなっていたので、ネットで調べて処置をしたら2日後くらいからみるみる元気になって、その姿にものすごく癒されました。
植物から元気をもらい、夫とは少し距離を置き、自分をケアするように過ごしていたら、だいぶ心が落ち着いてきました。
夫は私の様子をかなり気にしているようで、私が距離を置いていると精神的に不安定になっているのがわかるので、それを見るのもまた疲弊するのと、私自身、嫌なことをずーっと引きずるのが嫌で、極力すぐ頭から追い出すように努めているので、夫に対して、「こういう状態がずっと続くと、ものすごくストレスになるから、私は普通に接したりするけど、それに対して、「なに、普通に接してるんだ?」とかモヤモヤしたりしない?」って聞いたら、「しない。普通にしてもらった方がいい」とのことだったので、いつも通りに戻しました。
前までだったら、一区切りをつけるために、お互いごめんなさいして終わりにしていたのですが、今回はどうしても私から謝るというのが納得いかないので、普通に接するということで収束にしました。
収束してから結構経っていますが、ブログをお休みしていたのは、見守る経過を書くということは、夫を良くも悪くも観察しなければいけないことが多いため、自分のために夫を見守るのはやめていました。
まずは「私がどうしたいか」を優先にしています。
今までご飯も夫に合わせていましたが、今は夫に聞かずに私が食べたいものを準備しています。これだけでも全然気持ちが違います。
見守る側に余裕がないと、うまく進まないことって多いんだなと改めて思いました。
音楽が好きなので、歌詞にも救われましたね。
「あの傷は疼けど この渇き癒えねど もうどうでもいいの 吹き飛ばそう
さわやかな風と帰ろう やさしく降る雨と帰ろう
憎みあいの果てに何が生まれるの
わたし、わたしが先に 忘れよう」
という歌詞が好きで、帰り道、繰り返し繰り返し聴きました。
歌詞は死生観だけれど、私と夫の状態に当てはめると、「この状態を続けて何が生まれるんだろう。何になるんだろう。」と思うことで気持ちを落ち着けました。
あとは、
「魔法がないと不便だよな マンガみたいに
日々の恨み 日々の妬み 君が笑えば解決することばかり」
「希望がないと不便だよな マンガみたいに
日々の嫉み とどのつまり 僕が笑えば解決することばかりさ」
という歌詞も沁みましたね。
「君が笑えば解決することばかり」「僕が笑えば解決することばかりさ」は、対立状態においての真理のような気がしますね。
ちょっと長くなってしまったので、夫の様子はまた次回。
気が付けば100記事になっていました。
読んでくださっている方、読者登録してくださっている方、ありがとうございます。